ブレない演奏をするための鍵は、”完成された音楽のイメージが意識の内奥にある”こと

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自分の内側にすでにある「完成された音楽」を聴いて弾くという受動的演奏がもたらす効果は、精神的にラクであることと表現された音楽がバランスがとれていて完成度が高いということだ。

もっと上手にピアノを弾きたい。それが叶う”完成された音楽のイメージ”とは
演奏する際に一番核としてもっているものが「内奥にある完成された音楽」だ。ポイントは二つあって、一つは「完成された音楽のイメージ」もう一つは「内奥にある」ということ。その両方を同時に意識することがわたしの演奏の要になっている。自分の演奏に一貫性や安定性が感じられないのであれば、これを実践すると劇的に変わるはずだ。

では、その「完成された音楽」が「内奥にある」とはどういうことを意味し、どのような効果があるのかこの記事で説明しよう。

    • ブレない演奏は、”完成された音楽が意識の内奥にある”ことで叶う
    • 「内奥にある完成された音楽」へのアクセス
    • まとめ

「内奥にある」ことの必要性について

普段意識することのない「内奥(ないおう)」という意識領域が演奏する際になぜ重要なのか説明しよう。

内奥という意識領域はどこなのか

“内奥”とは、聞きなれない言葉だが、その意味は字のごとく・・・内側の奥深いところという意味だ。ここでは“意識の“内奥という意味で使っているので、自分のこころの奥深いところを指す。

では、“意識の“内奥とは具体的にどの辺りなのか。

これはもう、“自分のこころの奥深く“という自分にしかわからない場所だろう。

少なくとも自分の“意識の中心”より奥にある。奥であればあるほど意識が集中していくが、実際に演奏となるとそこにだけ集中するわけにいかない。

演奏中は同時にいくつもしなければならないことがあるので、演奏中の意識としてはそこにだけ集中しすぎないちょうど良い加減の場所をみつけることがポイントとなる。

<わたしが行っている演奏方法>

意識の中心にいる自分が”内奥”という意識領域でイメージされる「完成された音楽」をキャッチしながら演奏する。

  • 演奏中の自分の意識・・・意識の中心
  • 完成された音楽・・・意識の内奥

しかし「内奥にある完成された音楽」をキャッチするには、それが存在する場所を知っておかなければならない。

「内奥にある完成された音楽」に本当に出会いたければ、慣れるまでは思い切って限界と思えるほどの自分の意識の最奥に集中してみることだ。

目を閉じて、自分の意識の最も深いところ。外界で何が起きていようがまったく影響を受けない静かで安定した場所を見つけよう。

まるで深い瞑想状態のように意識の深いところに集中する。自分のからだの感覚すら薄らいで、外部からの情報が極端に低下する場所まで降りてみよう。

そしてそこから、今練習している曲の完成バージョンが聴こえてくるまで待ってみよう。

この場所を拠り所として演奏できるようになることが目標だ。

「内奥にある」ことで得られる効果

意識の内奥、そこは自分の気持ちに左右されないブレない領域。

海にたとえるなら深海になる。海面でどんなに波が荒れ狂っていてもそのうねりが届かないぐらいの深い場所。

つまり「完成された音楽」が「内奥にある」ということは、その音楽が何かからの影響を受けずに“完成されたまま”でいられるということだ。

もし内奥ではなく、意識の表層部分で「完成された音楽」をイメージしたら、それは簡単に外部の影響を受けてしまう。

外部の影響を受けて集中できないことでテンポが速まったり、フレーズが浅くなったりと、容易に変形してブレブレの音楽になってしまうだろう。そうなると「完成された音楽」のイメージ自体がかき消されてしまう。

「完成された音楽のイメージ」がもたらす効果は絶大なのに、そのイメージが維持できなければ何の意味もなさない。

イメージを維持するには、ひたすら「それがある」と信じるだけではない、もっと物理的な条件があるのだ。それは、「完成された音楽のイメージ」を維持することができるだけの“意識の深さ”が必要だということ。

顕在意識といわれる自覚できる意識の領域であっても、表層部、中層部、深層部という異なる意識感覚があると思う。

わたしの感覚では、

  • 表層部・・・外側にすぐに反応できるぐらい、意識が外に向いている領域。
  • 中層部・・・自分という感覚や感情をもちながら、視覚・聴覚的に外の世界の影響を多く受ける領域。(状況によっては感覚や感情が支配的に影響する)
  • 深層部・・・自分という感覚や感情を超えて深く内側に意識が向いている領域。外の世界の影響が少ない。

となる。

わたしが思うに表層部はもちろん中層部であっても、そこで「完成された音楽」をイメージしたとしても外部からによる何かしらの心理的影響を受けているような気がする。

当然、日頃生活していればあれこれ思うことがある。表面的な意識であったり感情が生まれる意識領域では雑多な意識による影響がでて、とても「完成された音楽」など維持できない。

「完成された音楽」であるためには、そのような影響を簡単には受けない領域に存在しないといけないのだ。

となると、意識の深層部(=内奥)こそが「完成された音楽」をイメージし、維持することができる領域となる。

そこでイメージして聴こえてきた音楽は、テンポが安定してブレない、もしくは心地良いゆらぎの中にあり、音量のバランスも調和がとれていること発見するだろう。

その時点のその人がイメージできる最良の音楽がブレることなくそこにあるのね!

外的影響を受けない強固な安定性をもつ「内奥にある完成された音楽」に意識を合わせると、演奏にも安定性が出てくるというわけなのだ。

このような理由で「完成された音楽」が何らかの影響を受けて変形してしまうことがない“内奥”という意識領域に目覚めることがとても重要になる。

「内奥にある完成された音楽」へのアクセス

日常生活ではなかなか”意識の内奥”に注意を向けることがないので、アクセスするには訓練が必要となる。

根気強い練習が必要

「完成された音楽」がかき消されることなく、絶対的に存在すると信じられる領域が内奥だということが分かった。

けれど、自分の意識がそこへアクセスする(意識を向けつづける)ことができなければそこにある「完成された音楽」を演奏することができない。

ピアノの前に座ってほどなく弾き出すことができるように、慣れるまでは根気強くその場所を見つける練習をしよう。

目を閉じて、自分の意識の最も深いところ、外界で何が起きていようがまったく影響を受けない静かで安定した場所を見つける。

“内奥”という場所を見つけたら、そこから「完成された音楽」が聴こえてくるように意図する。「完成された音楽」が内奥にあると信じてこころの耳を澄ませば聴こえてくるはずだ。

演奏するときはいつでも“そこ”にアクセスできるように日頃から意識しておこう。

なぜなら、気を抜くと結構中層意識でイメージしてしまっているから。

気楽に弾くならいいけれど、大勢の人の前で演奏するときは中層意識からの演奏だと緊張で浮ついて崩れてしまいかねない。緊張していても、内奥にしっかりと碇を下ろして「完成された音楽」とつながっていられれば、それなりに安定して演奏することができる。

また環境的な要因がなくても、自分の気持ちが何かに囚われていると内奥に下ろしたはずの碇が外れてブレブレの演奏になってしまう。

どんなときでも演奏するとなったらスッと、それこそ緊張や心配事などを飛び越えて自分の奥深い意識の世界に集中したいものだ。

演奏するときは、自分の感情に左右されない意識領域を拠り所とすることが重要なのね!

ポイントは「完成された音楽」が「内奥にある」ということを信じ切ること。緊張状態であってもちゃんと聴こえてくると信じること。

どんな精神状態であってもそこへアクセスできさえすれば安定した音楽とつながることができる。そう思えば少しは人前での演奏も安心できるだろう。

言霊の力を利用する

「完成された音楽」を演奏するためには、どんな精神状態であっても演奏前にスッと内奥に意識を落とせるようにするのが絶対条件だ。

そこで言霊の力を利用しよう。ことばを唱えることでアクセスしやすくなるから。

「内奥にある完成された音楽を聴いて弾く」

わたしの場合、このことばを数えきれないほど演奏前に唱えてきたので、わたしが「内奥にある」と言うと瞬時に自分の意識の中心から奥の部分を意識することができるようになった。

なぜなら、単にそのことばを発するのではなく、そのことばの内容を意図するからである。

 

人間が意図するとき、そのからくりがはっきりわからなくてもその意図した内容を実現しようと状況が変化する。だから疑わずに“信じればいい”のだ。

このことが習慣になり絶対的に信じられるようになれば、そのうち、深く内奥にまで潜らなくても「内奥にある」と唱えれば向うから「完成された音楽」のままで意識の中心に浮上してきてくれる。

ただし、内奥としっかりつながっている感覚を持っていることが大事。でないと気づかないうちに変形してしまうので。

アクセスしやすい言葉へと変化していく

言霊の力を利用して「内奥にある完成された音楽」をキャッチする。そういう経験を積むことによって、わたしはだんだんと人前で弾くときでも落ち着いて演奏できる瞬間が増えてきた。

もちろん本番の演奏では最初からすべて上手くいくことはないけれど、それを信じて続けていくことが大事なのだ。

自分の内側の奥深いところにある音楽とつながること。それによって可能になる安定した演奏を体験すれば、この方法に迷いはなくなるだろう。

最近では「内奥にある完成された音楽意識が演奏する」としている。

その意図するところは、演奏中はまるで音楽自体に意志があるかのように、自分の意識より音楽そのものに主体性をおくようするため。そうすることで「内奥にある完成された音楽」が内奥にありながらも拡大して、自分の意識の大部分を占めるようになるので、深く潜って聴くというアクションを省略することができる。そのことにより「内奥にある完成された音楽」による、より直接的な演奏になるような気がするからだ。

なぜそんな風に改良していっているかというと、このブログのサブタイトルにあるように音楽とこころとからだの三位一体を目指しているからだ。

結局、演奏中の内的処理を極力統合していきたいのだ。タイムラグを減らして三位一体で演奏することがわたしの望みだから。

それにしても、なんだか理屈っぽいわね。

それは、わたしがいちいち自分を納得させるために言語化しているからだ。

感覚的にできたままにしておくと数時間後には忘れてしまっているかもしれない。また練習していると次々と理解したことが進化していくので言葉による表現も変わっていく。だから忘れないように、わたしのメモはこのようなことばがたくさんたまっていっている。

そういうわけで「内奥にある完成された音楽」というわたしの演奏の核となる表現は変わらないが、それを実現させるためのアファメーションは気づきの変化や進化に合わせて柔軟に変わっていっている。

唱えることばは自分にしっくりくるようにその時々でオリジナルで考えたらいいわね。

まとめ

内奥という場所を見つけること。そこにいつでもアクセスできるように練習すること。アクセスしやすくするために言霊の力を使うこと。

これらのことはどれも目には見えない感覚的な物でしかないけれど、その感覚を掴み取ることがとても重要である。

  • 意識の中心にいる自分が”内奥”という意識領域でイメージされる「完成された音楽」をキャッチして演奏している。
  • 内奥という意識の奥深い場所でイメージされる「完成された音楽」は、外部からの影響を受けることがないので安定している。
  • 内奥という場所を見つけ、そこにいつでもアクセスできるように練習すること。
  • 内奥にアクセスするためには言霊の力を利用する。
  • 内奥にアクセスすることで、どんな精神状態でも「完成された音楽」とつながることができるという安心感が自信となり、人前でも落ち着いて弾けることが増える。

 

最後までお読みいただきありがとうございました♪

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